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森ノ宮の歴史
縄文時代中期から近世にかけての長期にわたる複合遺跡である森の宮遺跡が発掘されていることから、森之宮地域には縄文時代から人が居住していたと考えられる。
森の宮遺跡から貝塚が発見されていることから、古代のこの地は水辺の環境だったと考えられる。
森の宮遺跡の貝塚の分析を通じて、縄文時代には海水性の貝、弥生時代には淡水性の貝が食されていたことが判明している。
このことにより、上町台地東側に広がっていた海(河内湾)が淡水化して河内潟・河内湖へと変化し、その後土砂が堆積して大阪平野が形成されていく過程をうかがい知ることができる。
江戸時代になると、現在の中央区森ノ宮中央から玉造の一帯には、大坂城玉造口の警護を担当する玉造口定番の与力・同心屋敷が建ち並んだ。またなにわの伝統野菜「玉造黒門越瓜」の栽培地ともなっていた。
明治時代になり、現在の大阪城公園の場所に大阪砲兵工廠が、法円坂住宅の場所に大阪陸軍被服支廠が設置された。森之宮・玉造界隈は、砲兵工廠や被服支廠に勤める人たちの町として発展した。
1932年には国鉄城東線(現在の大阪環状線)の森ノ宮駅が開業している。
また現在の城東区森之宮にあたる一帯には陸軍の城東練兵場があったが、その後1940年に大阪砲兵工廠の拡張用地として転用されている。
第二次世界大戦期には、米軍から数回にわたる爆撃を受けたため、町は甚大な被害が出た。現在のアピオ大阪の場所にあった森之宮国民学校(現在の大阪市立森之宮小学校とは別の学校)は、戦災被害のために終戦直後に玉造小学校に統合されている。
1960年代には城東練兵場・大阪砲兵工廠跡に日本住宅公団(現・独立行政法人都市再生機構)森之宮団地が建設され、1967年8月に入居が開始された。
公団森之宮団地は、広大な土地にまとまった数の住宅と生活関連施設を計画的に建設する「面開発」住宅の第1号とされている。(Wikipedia一部引用)
▼ 店舗情報
住所
大阪府大阪市東成区中道1-10-19
電話番号
06-6971-0972
定休日
日曜日・祝日
営業時間
11:30~14:30(L.O.14:00)
17:00~22:30(L.O.22:00)
ホームページ
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